湘南医療福祉専門学校

Blog深澤ブログ

深沢先生ブログ「しなやかに#8」を更新しました

深沢先生ブログ「しなやかに#8」を更新しました

今回のこのブログは、表題にあるように「しなやかに」をテーマにしています。何事にもしなやかに対応・対処できる能力を身に付けたいとの思いから考え出た言葉です。だから、これからも自分のスキルをさらにレベルアップしていくためにも「しなやかに」という考え方は継続していきます。


しかし、一方では「しなやかさ」とは対照的な無骨な「泥臭い」考え方も重要であると、最近は特に感じています。世の中はコロナ禍において様々な生活様式や仕事に取り組むスタイルが変化してきました。デジタル化が進化し何をするにもデジタルな考え方や方法が多くを占めています。私たちトレーナーもデジタルを導入することで、コロナの感染リスクを下げ仕事の効率化や持続性を高めようと躍起になってきました。


でも、ある時とてつもない違和感を覚えたのです。具体的に言えば、健康の維持や促進を効率化するためにセルフケアやトレーニング・エクササイズをリモートで行うことや、健康状態に不安を感じる人に対してやはりリモートを使ってカウンセリングして対処法を提案したりもしたわけですが、私たちの本分は実際に対面で顔色やしゃべり方、動き方を見て感じ、触って感じといういわゆるアナログが中心の仕事であり、そうすることで人と人とのつながりや信頼関係が成り立って成果をあげていく仕事だということです。

そこにはデジタル化されたリモートなどが入り込む隙はないのです。私自身が港区の仕事のひとつとしてリモートで参加者たちに東洋医学的なツボなどを使いながらできるセルフケアのクラスを展開させてもらいましたが、形は伝えられても参加者の皆さんの現状の健康状態などは把握できず、一人一人に適したアプローチ方法や刺激量を変えるという技術的なことは一切伝えられませんでした。

やり方さえ伝えれば良いというのは、間違っていると私は思っています。人のやっていることにケチはつけられませんが、YouTubeなどでは多くの人たちがストレッチング、トレーニング、セルフメンテナンスなどを動画であげて紹介していますが、これらも表面的な部分を伝えられても本質を伝えることはできないと思います。これらの紹介されている動画を見て真似てトライしてみて、もし事故が起きてしまってケガにつながったら一体どう責任を取るのでしょうか?


そういう部分を考えてみても怖いものだと思います。結局、私たちの仕事(東洋医学の従事者であれトレーナーであれ)はアナログなんです。私は、東洋医学の従事者でもトレーナーでも原点は「手あて」という言葉にあると考えてきました。人の痛みを知る、人の苦しみを知る、その痛みや苦しみを開放するためにできることが、その人のことを真剣に想い考え可能な限りの対処をすることが私たちの仕事だと考えています。「手あて」という行為は、痛みを感じる部位、苦しみを感じる部位を和らげるために人間が本能的に行う行為なのです。皆さんもおそらく今までの人生の中で、痛い、辛い、苦しい部位があった時に何気なくその部位を自分の手で触っていることがあったのではないかと思います。


例えば、お腹が痛くなればお腹を手で押さえるとか、歯が痛くなった時に痛い部位の顔を手で押さえたり、もしくは気持ち悪い時にお母さんが背中をさすってくれたりとか、経験あるはずです。この痛みのある部位を手で押さえるという行為は、誰に教わるわけでもなく自然と本能的に行ってきているはずです。


そこから進化していったのが「施術」という行為です。痛みや苦しみ、辛さを感じる部位を改善するために色々な手法を用いて、実際に手で触って改善しようとすることが「手あて」という「施術」の行為」なのです。トレーニングの指導でも同様です。強くしたい部位、筋肉、などに対してただトレーニングプログラムを作って実行させるだけでは、決して強く逞しくなりません。


実際に動かす筋肉や動き方を、手で触りながら手から神経の伝達を脳に伝え、成果をあげられるようにすることが重要です。触らずに動き方や姿勢だけを指示してもできないことはありませんが、本当に強くしたい筋肉、部位を強化するには手で触れながら取り組んだ方が効果的であると同時に正しい操作の習得にもなります。結果、やはりアナログなのです!


そして我々の仕事は、決して華やかではなく泥臭く地道に一つ一つ丁寧に取り組んでいくことで成果を出します。人のために汗水流して必死に取り組むから、効果が出て成果が生まれ人との信頼関係が築かれていくものです。こういう仕事の本質を考えた時に、物事の考え方やアプローチの方法などを思案する中で「しなやか」な考え方は必要だし、大事なことだと思います。


ちょっとズレますが、故野村監督がよく仰っていた「固定概念は悪」「先入観は罪」という言葉は、可能な限り視野を広げて物事を幅広く捉えなさい、ということであり「しなやか」な考え方にマッチしていると思います。しかし、我々の仕事の本質は「人の手を使って、人のために最善な方法を考え行動する」自分の体を使って動かして、汗水流して働くところにあり、その意識と行動が成果を生み出すところです。


だからこそ、今の世の中の流れに乗せられるのではなく、昔も今もこれからもずっと泥臭く取り組んでいくべき仕事なのだと思います。もう一度、初心に戻って泥臭く必死に取り組んでいきましょう。でもそれが本当にカッコいい姿なのだと私は思います!


  • オープンキャンパス
  • 資料請求